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執筆者の写真熊澤剛

共通言語の獲得はなぜ難しくなったのか?




共通言語とは、複数の人々の間で、それが示すイメージを共有できるかどうかが肝となります。

言い換えると、一つの言葉で多くの人が同じイメージを持つことができるものが共通言語ということができるかと思います。


例えば「カレー」という言葉で皆さんは何をイメージしますか?

おそらく多くの日本人は、カレーがご飯にかかったものをイメージするのではないかと思います。

カレーという言葉からこのイメージが想起されるのは、家庭での食事や給食、コマーシャルやバラエティー番組などで、多くの日本人に共通している体験としてのカレーがあることがその前提となっています。


では、「仕事」という言葉で皆さんは何をイメージしますか?


これこそ千差万別、人によって全く違うのではないでしょうか?

例えば、イタリア的には「お金を稼ぐ為の苦役」、芸術家にとっては「自己実現の手段」、NPOにおいては「社会課題の解消」・・・

仕事が苦役の人には、なるべくやりたくないことでしょうし、自己実現の手段であれば、時間に囚われず取り組みたいことなのかもしれません。


なぜ「カレー」は共通言語になりやすく「仕事」は共通言語になりにくいのか?

もちろん言葉自体の抽象度の違いもありますが、先に述べた「多くの人に共通した体験」自体が少なくなっていることが、共通言語の獲得が難しくなった理由にあると考えています。


新聞、本、テレビ、ラジオしかなかった昭和から平成の初めの頃までとはことなり、令和の現代においては、様々な言葉とイメージが様々なチャネルで爆発的に発信されており、人々はそれらを選択的に享受しています。

同じ言葉が指すイメージが異なるのは必然とすら言えるのではないでしょうか?

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